夫婦、家族〜離婚と生活、人生について考える

夫婦って何だろう、結婚って何だろう、幸せに生きたい〜そんなあなたへの言葉

修復への道〜不倫問題のピリオドを打つことの大切さ

修復を目指して、なんとか夫婦の関係改善に努めている時

また我慢をしてしまっていませんか?

 

せっかく、戻ってきてくれたのだから

私が我慢すれば・・・

やっと、ここまで来たのだから、また悪い関係には戻りたくない

 

今の状態になるまでの苦しい日々のことを思えば

夫は家庭に戻ってくれたし、おかしな様子も感じられない

 

だから、これでいいんだ。と自分を納得させてみる

 

でも、なんだかぎこちない夫婦関係

形だけの夫婦関係のようで、なんか気持ちが感じられない。

 

 

また、夫のほうも、悪いと思っているんだから、と自分の中で反省はする、そして反省してるんだし ちゃんと家にも帰っているし、おかしな行動だってしていない、何が悪いんだ、と思う。

それなのに、妻はいつもよそよそしい態度、なんだか安らぎのない家庭。なんのために戻ったのか・・・

 

 

 

日常生活がはじまれば、その流れの中で時間は過ぎていきます。それなりに過ぎていくけど、なんだか気持ちが取り残されている。夫婦の距離感が縮まらない。

 

もっと近づきたい、そんな思いがあっても、近づく怖さが生まれ、あえて近づかないようになったり、近づきたいという思いさえも、また封印してしまう。

 

自分の感情を、抑えて抑えて、結局自分は何を望んでいたのかさえわからなくなってしまう。

 

感情を抑圧する、ということは結局苦しい時間を大きくするだけなのです。

 

 

形は戻った家庭生活、それでも もう一度しっかりお互いが悩んだ不倫問題についてしっかりピリオドを打ってみませんか?

 

それは、「もう許しました」ということではありません。

 

あなたとやり直したい、そう願っているけど まだ気持ちの中に不安がある

どうしてもフラッシュバックすることがあって、戻ってくれたことはうれしいはずなのに、信じきれていない

もう終わったと信じているけど、まだ許せる気持ちが小さくて・・・

 

など、傷ついた当時の気持ちや、今の本当の気持ちを伝えることが大切です。

 

夫だって、そうです。

家庭の大切さをわかったつもりだけど、なんだかまだ居心地が悪い

反省している、いつも思っているから、わかると思っている

今さら、もういいんじゃないのか

 

と戻ってから感じること、それまでの自分の気持ち 伝えたことありますか?

 

自分の中だけでは、このピリオドは打てないのです。だって夫婦として、やり直そうと決めたのですから・・夫婦の問題として、お互いが一緒に終止符を打たない限り終わらないのです。

 

終わらないというより、再生がはじまらないのです。

 

反省やこれからの希望、思っていることは伝わっているつもりかもしれないですが、ちゃんと伝えたことありますか?

 

思いは、伝えない限り、伝わらないのです。以心伝心という言葉もありますが・・それは、結果的にうまくいったときに使っているだけに過ぎないのではないでしょうか?

 

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今週のカウンセリングの現場で感じたことです。

 

つい、自分が我慢してしまう、今さら何をどうしたいのかさえもわからない、今だったら こんな言葉を言えたのに・・・と、カウンセリングの時間を通して 自分の思いに気づく、パートナーの本当の願いに気づくのです。

不倫した夫を愛せるのか・・・愛することと損得勘定

あなたは、夫を愛したいですか?と問いかけられた時、どんなふうに答えますか?

 

愛したとしても、その想いはきっと伝わらない

愛される保証があるのか わからない

愛することができるか自信がない

愛されないなら、愛さない方がいい

 

いろんな言葉が浮かびます

 

愛したいか、という問いへの答えはただひとつ

愛したい 

ただそれだけ

 

そして、その気持ちが見つけられない時こそ

愛する気持ちが自分の中に消えてしまった時なのかも・・・

 


愛したいけど、愛せない、と 愛したい気持ちが見つからない

似ているようで、ちょっと違うようでもあります。

 

自分の感情を見つめることってとても難しいものかもしれません。感情を邪魔するもの、それが勘定というものかもしれません。

 

損得勘定が出てくる時、自分の本来の感情がみつけにくくなるものです。

  

ただし、結婚生活を続ける上では損得勘定も考えねばならないときがあることも事実です。

 

それを踏まえた上で、今は勘定が優先されているんだと理解すること、真の感情はどうなのか・・と感じること、両方が大切なのですね。

 

損得勘定には、経済的なこと社会的なことだけではない、気持ちの上での損得勘定もあります(こちらの方が自分の心への影響は大きいです)

 

愛してくれるなら愛する

愛してくれただけ愛する

これこそ損得勘定で愛することをしているのです

あなたの本来の愛する気持ちが見えにくく、感じにくくなっている状態です。

 

愛したいか、という問いへの答えはただひとつ

 愛したい 

だとしたら、もうひとつの答えは無関心

愛せない、愛したくない、がもうひとつの答えではないのです。

 

愛せない、愛したくない、の奥には もっともっと愛したい、愛されたいという欲求があるのです。

 

愛したいという感情が消えてしまった心には、愛とは全く無反応な無関心が生まれるのです。

 

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 私は、もう無関心なのか 愛せないのかを問うことも自分をみつめるひとつの問いかもしれませんね。

 

夫婦再生にとって不倫問題は結果であって原因ではない

夫との関係をよくしたい、なぜ私だけがいつも傷つくのか・・・夫婦の問題さえなければ、私たちはいい関係であったはず。

やっぱり、不倫問題があったから私たち夫婦はおかしくなってしまったんだわ。

 

 このように思うのが不倫問題で傷ついた妻の気持ちですよね。

 

 だから、あの不倫問題さえなければ・・・・

そう考える時、夫婦問題の原因は不倫問題だと認識しています。

だから、どうやってその不倫を終えさせるか、そこに自分の持てるすべてのエネルギーを費やすのです。

そしてその問題に向かい合っていることや、必死でやめさせる方法を考えていることが別の意味で自分を支えているとも言えるのでしょう。(この問題さえ無くなれば、平穏な私に戻れるという認識です)

 

そして、不倫を認めた夫が やっぱり帰るところはここ、君を傷つけて悪かった、本当にすまない、いくら言葉や態度で示しても、なかなか妻の心は晴れない。

 なぜでしょう

 

その夫婦問題の原因は、不倫問題ではなかったからです。

夫婦にとって、もっと奥深い別の問題があったにもかかわらず、不倫を原因と捉えてしまったからです。

不倫問題は、その奥深い別の問題の結果として表面化した問題であったのです。

 

夫としてのあり方の問題

妻としての関わり方の問題

夫婦の違和感を放置していた問題

夫婦となる以前からのお互いが抱えていた問題

 

 

不倫問題は結果である、そう受け止めると別の原因となるものは何なのか・・・これを掘り下げていく必要があるのです。

 

そして、たどりついたとき・・・「これが、夫婦問題の原因だったの?」と驚くこともあります。それは、私はこんなことに傷ついていたんだ、とか私はこんなことにこだわっていたんだ、とか本当に多岐にわたります。

 

ただ、いえることはこの作業は、とても苦しく辛い作業です。

自分の生きてきた歴史の中で、ずーっと認めたくなかった感情であったり、封印していた感情をひもといていくわけですから・・・

とは言っても、不倫問題が原因と思い、終結させるために費やす時間が無駄であるとは思っていません。その時間の中で、必死に生きることをして、また作業のように費やす時間が弱った自分を支えてくれている一面も大きくあります。(とても傷つくことを受け入れることになったりもするでしょう)

 

そんな時間を過ごすことで冷静さを取り戻すことにつながる人もいます。

 

本当にひと言では言い尽くせない、奥深い問題です。

夫婦の問題は、不倫だけではない〜不倫でもあればよかったのに・・妻の心の叫び〜

不倫問題は原因でなく結果、という記事を書きました。
 
 
その延長線上にあるというのか、ひとつご紹介したいある女性からのお話です。
 
 
夫婦関係にお悩みのミドル世代の女性
夫との冷めた関係は、いつからだったのかわかりません。気が付いたら夫婦を義務感としてやっているようでした。それはお互いに・・・だから、傍目からすれば大きな問題があるようにも見えないし、自分たち夫婦の仲にも取り立てて何が問題ということもなく日々は過ぎていました。
 
それでも、妻の心の中には「いったい私たち夫婦って何なんだろう・・」「私にとって結婚って何だったんだろう・・・」と夫婦生活、もっと言えば自分の女性としての人生についても悩みが止まりませんでした。
 
それでも、日常は過ぎていきます。
子供達の問題も人並みにあったけど、それでもなんとか一人前と言われるところまできて自立をさせ、ますますこれから人生を考えた時、そして今までの生活を振り返る時、夫とのすれ違いの大きさに、深い悲しみを覚えたと言いました。
 
ケンカをしあったこともなければ、言い合いをしたこともない、それなりに穏やかといえば穏やか・・・でも、自分の心はそれで満足していたのか・・・
 
 
彼女は、愛されているという実感のない生活、そして自分自身の愛情の持って行き場のなさに悲しみを感じていたのでした。
 
 
子供がいるうちは、子育てで愛を感じ、自分への愛情をあえて再確認しなくてもごまかしながらも生きていけた、でも、今となっては この愛情の枯渇した人生をまざまざと感じてしまい、これからの生きていく希望さえも見つからないとも言いました。
 
  
彼女は言いました。
不倫問題でもあったらいいのに・・・
 
 
不倫問題で夫の気持ちが別の女性に向いてしまった、そしてそのことで自分が悔しい、腹立たしい、それだけ夫を愛している、そんな感情になりたいです、と・・・
そして駆り立てらえるように夫のことを愛していると実感したい、と・・・
 
 
不倫問題さえもなく、それでもすれ違う夫婦
いったい何が、どこで狂ったのか、どうすれ違ってしまったのか・・・それは、不倫問題を通して悩む夫婦と同じように奥深い問題があるのです。
 
  
彼女の言葉から「愛したいのです」という心の叫びを聴いた気がしました。

 

(※記事中のお話はご本人の了解のもと掲載しております)

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浮気よりも許せないこと

浮気よりも許せないことってなんでしょう?

パートナーの不倫で悩んでいる人にとって

これ以上の裏切り、許せないことってない!と思ってしまいますが・・・

この「浮気よりも許せないこと」・・ここに不倫問題の本質に近づくヒントがあるのです。

 

婦人公論2015年6月23日号での漫画家、柴門ふみさんのインタビューのタイトルが

『浮気よりも許せなかったのは家族の無関心』​​​​​​でした。

  

とても胸にささる言葉ですね。

多くの女性が、夫婦生活・結婚生活の中で感じる許せないこと・・そして悲しさ、寂しさの原点にもなっていること。

  

愛情の裏返しは、無関心。嫌い!腹が立つ!という感情は相手に関心があるからで、だからこそ、好きの反対は嫌いじゃなくて無関心と言われるのです。

  

浮気よりも許せない、それくらい悲しみを感じる無関心という状態。妻として、パートナーとしての存在意義、結婚というものがあなたにとってはなんだったの?

 

夫にとって結婚はひとつのツールに過ぎなかったのではないか・・・そんな気持ちにさえなります。

 

そこに妻の わたしである必要性、妻としてのアイデンテティーは全くなくなるわけです。

 

このアイデンテティーの喪失、がひとの悲しみの素になります。

わたしって何なの?

わたしの存在意義は?

  

だからこそ、夫婦のすれ違いの悲しさは 途方もない悲しさであり辛さであるのです。わたしの存在意義さえ疑うわけですから、自分を傷つける悲しい事実が起きます。

 

こんなわたしは存在しても意味がない、生きている価値がない、抜け出せない深い闇の世界が押し寄せます。

  

あなたが今、不倫問題で悔しい、悲しい、思いをしているその現実の裏側に、こんな問題は隠されていませんか?このことを感じるのが怖い、わかっているからこそ認めたくない、認めるとますます妻としてのアイデンテティーを侵される、そんな防衛反応から、なかなかこの内面の問題にまで気持ちが向き合えない時期もあることでしょう。

  

泣いて、泣き切ったあと、悔しいと罵倒したあと、自分の中のドロドロした感情を吐き出したあとに、この悲しみの原理由でもある、夫の無関心ということを考えてみるのも必要でしょう。

 

そして、この無関心問題、つきつめていくと・・・夫だけではなく妻自身にも問われる言になるのです。家庭はとても大切に思ってきた、子供も大切にしてきた、そして夫に対しては・・・家庭の夫、子供の父親としての役割を求めていただけなのでは・・

 

 

不倫問題からひもとく家族問題、夫婦問題・・・このように、いろんなところへつながっていきます。だからこそ、理由はひとつではないし、原因も複雑にからみあっているのです。

ただ、現象として表にでてきているのは不倫問題という現実の問題、それだけなのです。