当たり前にあった日常を奪われる恐怖
夫婦として、家族として当たり前にあった日常、大切であることは十分わかっていても毎日生きている中では意識することなく時間が流れ、あえて意識するということからも離れた本当にあって当たり前のもの
それがあなたにとっての夫婦、パートナー、家庭であったのでしょう。
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そして突然の不倫を知ることで受けるこの気持ちの動揺はいったい何なのか・・悲しみ、悔しさ、腹立たしさ、いろんな思いが溢れる。でも、自分の気持ちを代弁するような言葉はそんな簡単なひと言ではない
悲しい、何に対してなんだろう
悔しい、女として???
腹立たしい、夫に対して?その相手の女性に対して?
とにかく、全部の気持ちであるようでいて、どれでもないようでもある。
ただ、確実に言えることは、今日まで、ついさっきまであった当たり前の暮らしが当たり前ではなくなる恐怖。もしかしたら、全てなくしてしまうかもしれない恐怖。その大きさは今まで経験したことのない、はじめて感じるものだったのでしょう。
当たり前の暮らしがなくなるというのは、決して生活がなくなるという具体的な面だけのことではないのです。
暮らしを通してそこにある、気持ち、存在していると信じていた愛情をなくしてしまうかもしれないという恐怖にほかならないのです。
愛情を感じるというのは、飾った言葉や文字ではなく
何気ない普段の暮らしの中にある息遣いではないですか?
だからこそ、気づきにくい、
だからこそ当たり前と化してしまう。
だからこそ、そこにあると信じていたものが揺らぐと
もしかしてなかったの?いつから、どこにいってしまったの?と寂しさや孤独感を感じるものなのです。
信じていた私はいったい何を見ていたの?
当たり前であると思い、その日常を大切にしてこなかったのでは・・と、今度は自分を責めてしまいます。
自分を責めて、そして責める分だけ今度は同じだけパートナーに対しての怒りも感じてしまいます。
取り戻したいのは、当たり前にあったあの暮らし。
私に向けられていたと信じていた愛情はどこにいってしまったの・・
ただ、あの日に戻りたい、ついそう願ってしまうのですよね。
不倫したくせに・・・という意識が私を支配する。
夫の不倫を知り、それからの話し合い・・・
私の収まらない気持ちをぶつけて、夫は「すまなかった」という言葉とともに謝罪し一応形は元の生活へ・・・
夫は、不倫を本当にもう終わりにしたのだろうか・・・そんな気持ちがまだ私の中に大きくある。
頭では、もうこのことを蒸し返すのはやめよう、気持ちを切り替えて、これからの生活のこと考えよう。そう思うけど、どうしてもモヤモヤした気持ちがふつふつと湧いてくる。
そんなとき、夫の態度はいやに優しかったり、気を配ってくれたりしているのがわかるでも、その態度がよけに私を腹立たせる。
私の機嫌をとってるだけじゃないの?!という腹立たしさ
その態度は、心から動いているわけじゃないんでしょ!つぐないのつもりなの!という怒り
そして、どうして私はこんなにも度量の小さい人間なんだろうと、また湧いてくる自己嫌悪
どうして、やさしくされるのに腹がたつのでしょう。
優しくしてほしいとあれだけ、願っていたのに・・・
いざ優しくされると、なんだか気持ち悪いし、腹立たしい。
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私の中の、夫は 悪者であってほしいのです。
そうでなければ、私と夫の関係性が 私の中では成立しないのです。私の中の夫が、悪者であれば 私はいい人、かわいそうな妻でずっといられるのです。夫が悪者でなくなったら・・じゃあ、この不倫の事実に対して誰が悪かったということになるの?
私の中の、無意識というエリアにいる私が、私の中にいる夫の存在を許さないのです。夫を悪者から、修復を目指しているけなげな夫にさせないのです。
どうして・・・
許したいと思ってるのに、修復したいと望んでいるのに・・
だって、この怒りが、ずっと辛い時期の私を支えてきたのです。
だから、そんなにすぐに手放せない。
この怒りは、私の妻としての悲しさの裏返し・・・
楽しいことも、着飾ることも、すべて後回しにして家族のために、と過ごしてきた自分への裏切り行為のような夫の不倫・・・あなただけ、いい思いをしていたわけ?私のこんな数々の犠牲になるような毎日の裏側で、楽しいことだけしてきたわけ?
人生のおいしいとこ取りじゃないの!
悲しみと怒りの入り混じった感情
悲しみという種に怒りの芽が出ている状態
そこに、夫の謝罪が不倫という行為への謝罪
不倫をもうしません、という言葉の謝罪では
私の中の怒りは、消えないのです。
私の中の根っこにある悲しみは消えないのです。
夫からの謝罪の言葉が、妻としての深い悲しみに届かない限り
不倫をしたくせに・・・という意識が、何をするにしても私を支配してしまうのです。
夫への怒りで私自身を支えている、支えていた、だからこそ この不倫をしたくせに、という意識から離れられない、支配されてしまうのです。
身勝手な夫、不倫男性の言い訳
不倫をした夫が妻に向かって言います。
家庭を壊すつもりはなかった・・・ちょっとした出来心で・・・君が一番大事だ、と
そして、その夫は不倫女性に向かってもこう言います。君のことは大切だ。
どちらも嘘ではないのでしょう。ひとの気持ちは、その瞬間を切り取れば、全て本当でしょう、でもこの2つ両立することは、無理なのです。
どちらも愛してる、というセリフも存在しますし、そういうことが可能な人もいるかも知れません。
でも、いまの日本において結婚という、枠組みの中で生きている限り、日本の婚姻制度の中で生きている限り、許されないのが現実なのです。
制度から離れても、そんなこと無理、ひとりの人しか愛せないという人が大多数であると思います(このあたりの表現は難しいですね・・・)
そして、妻には不倫女性と別れる、と言い、不倫女性には、いずれ離婚しようと思ってる、と言う。でも、自分からは切り出すことが出来ない別れることをしない、のはなぜ??
それぞれの女性を傷つけたくない?そんなセリフを吐くけど誰も傷つかないなんて、ないのです。
もう既に、傷ついているわけですから・・
結局は、自分自身が傷つくことから逃げてしまう、恐れをなしてしまう、
だからその時、その時、自分にとって居心地の良い場所へといってしまう。。。
一番、大切にしているのは自分自身なのではないですか?
自分では気づいていないかも知れないけれど・・・
ちょっと厳しい言葉になったでしょうか・・・
何に、そして誰に今一番向きあわわなくてはならないのか、ですね。
修復への道〜不倫問題のピリオドを打つことの大切さ
修復を目指して、なんとか夫婦の関係改善に努めている時
また我慢をしてしまっていませんか?
せっかく、戻ってきてくれたのだから
私が我慢すれば・・・
やっと、ここまで来たのだから、また悪い関係には戻りたくない
今の状態になるまでの苦しい日々のことを思えば
夫は家庭に戻ってくれたし、おかしな様子も感じられない
だから、これでいいんだ。と自分を納得させてみる
でも、なんだかぎこちない夫婦関係
形だけの夫婦関係のようで、なんか気持ちが感じられない。
また、夫のほうも、悪いと思っているんだから、と自分の中で反省はする、そして反省してるんだし ちゃんと家にも帰っているし、おかしな行動だってしていない、何が悪いんだ、と思う。
それなのに、妻はいつもよそよそしい態度、なんだか安らぎのない家庭。なんのために戻ったのか・・・
日常生活がはじまれば、その流れの中で時間は過ぎていきます。それなりに過ぎていくけど、なんだか気持ちが取り残されている。夫婦の距離感が縮まらない。
もっと近づきたい、そんな思いがあっても、近づく怖さが生まれ、あえて近づかないようになったり、近づきたいという思いさえも、また封印してしまう。
自分の感情を、抑えて抑えて、結局自分は何を望んでいたのかさえわからなくなってしまう。
感情を抑圧する、ということは結局苦しい時間を大きくするだけなのです。
形は戻った家庭生活、それでも もう一度しっかりお互いが悩んだ不倫問題についてしっかりピリオドを打ってみませんか?
それは、「もう許しました」ということではありません。
あなたとやり直したい、そう願っているけど まだ気持ちの中に不安がある
どうしてもフラッシュバックすることがあって、戻ってくれたことはうれしいはずなのに、信じきれていない
もう終わったと信じているけど、まだ許せる気持ちが小さくて・・・
など、傷ついた当時の気持ちや、今の本当の気持ちを伝えることが大切です。
夫だって、そうです。
家庭の大切さをわかったつもりだけど、なんだかまだ居心地が悪い
反省している、いつも思っているから、わかると思っている
今さら、もういいんじゃないのか
と戻ってから感じること、それまでの自分の気持ち 伝えたことありますか?
自分の中だけでは、このピリオドは打てないのです。だって夫婦として、やり直そうと決めたのですから・・夫婦の問題として、お互いが一緒に終止符を打たない限り終わらないのです。
終わらないというより、再生がはじまらないのです。
反省やこれからの希望、思っていることは伝わっているつもりかもしれないですが、ちゃんと伝えたことありますか?
思いは、伝えない限り、伝わらないのです。以心伝心という言葉もありますが・・それは、結果的にうまくいったときに使っているだけに過ぎないのではないでしょうか?
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今週のカウンセリングの現場で感じたことです。
つい、自分が我慢してしまう、今さら何をどうしたいのかさえもわからない、今だったら こんな言葉を言えたのに・・・と、カウンセリングの時間を通して 自分の思いに気づく、パートナーの本当の願いに気づくのです。
不倫した夫を愛せるのか・・・愛することと損得勘定
あなたは、夫を愛したいですか?と問いかけられた時、どんなふうに答えますか?
愛したとしても、その想いはきっと伝わらない
愛される保証があるのか わからない
愛することができるか自信がない
愛されないなら、愛さない方がいい
いろんな言葉が浮かびます
愛したいか、という問いへの答えはただひとつ
愛したい
ただそれだけ
そして、その気持ちが見つけられない時こそ
愛する気持ちが自分の中に消えてしまった時なのかも・・・
愛したいけど、愛せない、と 愛したい気持ちが見つからない
似ているようで、ちょっと違うようでもあります。
自分の感情を見つめることってとても難しいものかもしれません。感情を邪魔するもの、それが勘定というものかもしれません。
損得勘定が出てくる時、自分の本来の感情がみつけにくくなるものです。
ただし、結婚生活を続ける上では損得勘定も考えねばならないときがあることも事実です。
それを踏まえた上で、今は勘定が優先されているんだと理解すること、真の感情はどうなのか・・と感じること、両方が大切なのですね。
損得勘定には、経済的なこと社会的なことだけではない、気持ちの上での損得勘定もあります(こちらの方が自分の心への影響は大きいです)
愛してくれるなら愛する
愛してくれただけ愛する
これこそ損得勘定で愛することをしているのです
あなたの本来の愛する気持ちが見えにくく、感じにくくなっている状態です。
愛したいか、という問いへの答えはただひとつ
愛したい
だとしたら、もうひとつの答えは無関心
愛せない、愛したくない、がもうひとつの答えではないのです。
愛せない、愛したくない、の奥には もっともっと愛したい、愛されたいという欲求があるのです。
愛したいという感情が消えてしまった心には、愛とは全く無反応な無関心が生まれるのです。
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私は、もう無関心なのか 愛せないのかを問うことも自分をみつめるひとつの問いかもしれませんね。