ゆれる夫に、ゆれる妻、グラグラするから不安が生まれる
修復への道のり、一筋縄ではいかないものです
夫は本当に修復をしたいと思っているのだろうか・・
夫は何かどこかに気持ちを残しているのではないだろうか・・・
夫は本当は修復なんて望んでなかった?
夫は一生懸命やってくれている、でも私の気持ちがすっきりしない・・
修復への一歩を踏み出せても、どこかに何かを忘れているような、これが目指していたものなの?という落ち着かない気持ち。
そして、またはじまる いつまでこの気持ちを抱えなくてはならないの? という不安。
結局不安がずっと私の心の中で占めていて、不倫に苦しんでいたころと形はかわっても、私の中にある不安ってずっと消えていない。
夫が、もっとしっかりしてくれれば・・
もっと強い気持ちで家族や私に向き合ってくれたら・・・
夫が、夫が、夫が・・・・
修復の道の中でも、気がつくと夫へのいろんな思いが溢れてきます。2人で修復しなければいけないのに・・・
でも、あの夫の様子じゃ、私の気持ちだって揺れてしまいます。
あんなふうになるなら、修復を望まない方が幸せだったのかも・・・そんな気持ちが ふとよぎったりします。
修復の大前提に、夫が変われば、という思い、いえ願いがあるのではないでしょうか。
でも、夫の様子は ・・・
修復しようとしているとは感じられない
かと思うと、やっぱり修復したいと思ってもいるようだし
わからない、わからない、わからない。
いっぽう、私は・・・・
修復したいと思っているはずなのに、あんな夫のままじゃ変われない、あんな夫のままじゃ修復なんて無理、でも、やっぱり修復したい、どうしたらいいの・・・ぐるぐるまわる不安定な気持ち。
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こんな状況からほんの少し抜け出したときに聞く言葉、みなさん同じ言葉になるんです。
「結局は、最終的に私がぶれなくなることですね」と・・・
いろいろあるけど、この人と残りの人生をやっていくんだ、という気持ち、この気持ちが以前はグラグラしていました。と・・
夫次第、と夫の気持ちを測っていたようなところもありました。
これじゃあ、こんな私じゃ夫も向き合えるわけないですよね。と・・・
今は、夫がどういう状態であっても 私は夫と生きることを決めました。夫が気持ちよく私と向き合えるときまで私がブレないで夫婦の人生をあゆむと決めたんです。
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不思議なものですが、夫が不安定な時って 妻の気持ちも不安定なんです。夫が変われば、それとも妻が変わる方が先か、というにわとりか卵かのような論争になってしまうのですが、それでも夫婦のどちらかが安定することで、もう一方のパートナーが安定していくものなんです。
結局は、腹をくくり私の人生を生きることになるのですね。
私の人生を生きるというのは、まるで離婚を選んでひとりで生きることや、仮面夫婦を続けていくこと、私だけの楽しみを見つけて生きることのようにとられがちですが、夫と共に生きるのだけど、それでも私自身の人生、私の人生は夫と共にある、そして夫がどんな夫であっても、受け止めてこの先の人生も一緒に生きる、そう決めた時に私の人生を生きるといえるのではないでしょうか。
そして、そんな気持ちを感じたときにブレない強さを感じるものです。
この強さが夫婦修復への礎になるんだと感じています。
夫の謝罪が許せないのは・・・
夫の不倫、とりあえず落ち着いたみたい・・
でも、私の気持ちは晴れないまま・・・
許せないわけじゃない、許そうとしている、
でもやっぱりモヤモヤする気持ちはいったいなんだろう。
私の目指していたものは、なんだったのか・・
修復と思っていたけど、これが修復なのだろうか・・・
夫の姿は家庭にあるけど、夫婦の形は外から見ればそれなりだけど、
そして夫も謝罪はしたけれど・・・
なぜ、このモヤモヤが晴れないのだろう
こんな気持ちになってる方も多いのかと、ご相談者さまの声を聴くたびに感じています。
周りが関わって修復への道をたどったりした場合にもよくあることです。
「もう謝ったんだから」と「子どものために」と説得されたり、
周りが関わることで事態は収束するものの、
あなたの気持ちを汲み取ってもらえる場はどこにもなかったのではないですか?
夫の謝罪はありました。
でも、それって 不倫をしたことへの謝罪だったのではないですか?
「こんなことになってすまなかった」
「ちょっと出来心で・・」
「誘われてしまったので・・」
「自分も淋しかった・・・」
と、その謝罪には、不倫に対する言い訳ともとれる言葉や
不倫の事実に対してすまなかった、と言う言葉。
あなたが本当に欲しかったのは、
あなたが傷ついたことへの謝罪、
あなたがひとりで耐えていた時間への謝罪、
あなたが抱えていた夫婦の問題の重さを一緒に感じる言葉
そんなものだったのではないでしょうか。
もちろん不倫に対する謝罪は、当たり前ですが、それでもう謝罪が終わったと感じている夫の姿、もう何もなかったかのようにしている姿に、まだ私だけが悩まなくてはならないの?という悶々とした思いが溢れてくるのです。
それは、不倫によってあぶり出された問題であって、もともと夫婦の中に存在していた問題。ただ日常に流されてあえて向き合おうとしてなかった問題。なんとなく気にはなってたけど、みんなこんなものなのかも知れないと思っていた問題だったのかも知れません。
夫婦が長くなればなるほど、目をつぶることも増えて来ます。
それが必要な場面もあります、でも、いつも目をつぶってばかりでは夫婦として大切にしていくものがどんどん見えなくなってしまう、見失ってしまうことにつながっているのです。
今更、またこのことをほじくり返しても・・と思う日々。
それでも夫婦としてこれから生きる日々を、どう過ごしたいのか・・・あなたの望む夫婦のあり方、そこからがもう一度本当の意味での修復への道がはじまるのです。
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夫婦で一緒に生きる、それが答えの全てではありません。
モヤモヤしながらも 今はまだ答えが出せない けど、今はまだそのままでいいんです。これもひとつの答えです。
きれいな形、表立って正解です!と言える形だけが正しいものではありません。答えは人それぞれ、誰がなんと言おうとあなたが納得して出せることが一番大切なのです。
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私を脅かす不倫女性〜妻が劣っているわけではないのです
不倫問題に悩み、苦しいことの大きな理由に、不倫女性の存在があります。
見えない存在としても、とても気になるもの
またその存在が知っている人であれば、なおさらなんともいえない悶々とした気持ちになります。
また、知らない存在であったのが、知ってしまったことで苦しめられるということだってあります。
そして、夫が不倫女性の元へ通うとき、やはり彼女の方がいいのかも と不安になる
会社の同僚だと知れば、職場での夫の様子を手に取るようにわかっているのだ、と落ち込み。
趣味を通じた存在であると知れば、私の知らない世界を一緒に楽しんでいる様子が浮かぶ。
同窓会を通じた、昔の知り合いだとわかると、夫の生きていた時代を一緒に生きていたのだから・・と
とにかく私の知らない夫を知っている、という恐怖にも似た思いが押し寄せてきます。
私が過ごした何十年よりも、もっと価値のある世界を不倫女性は知っている。私が知らない世界を知っていることで、まるで全て不倫女性が、妻よりも優っているように感じてしまうのです。
あなたが知ってる夫の顔、そしてそこにまだ知らない夫の世界がある、そう思うと夫の全てを知っていない、という足りなさを感じます。 足りなさを感じると、その足りなさはまるで自分の欠点のようにも感じられたり、私だけが知らないということでひとり置いてきぼりや、疎外感を感じてしまうのです。
でも、それはあなたから見える景色なのです。
不倫女性は、家庭での夫の姿は知りません(夫が自分で言っていることは都合よく伝えているだけ)そして、何十年も苦楽を共に過ごしてきたことも知りません。そこには、いい時だけはなく、苦しい時も夫婦で生きてきた時間が確実にあるのです。そこに夫は存在していたのです。
若くて、まだ給料が今ほどなかった時代、節約しながら生活をしていたこと、子供が生まれてから二人でこの子の成長を楽しみに見つめていたこと、夫の外での姿に気を配るように、身だしなみを整えてあげていたこと、逆に夫は仕事がきつくなった時も家庭のためにとがんばってくれていたこと、いろんなことに家族があり、家庭があり、妻があり、夫があったのです。
そんなことを不倫女性は何も知りません。そして何も見えていません。
夫が口にする、日常の不平不満は聞いているでしょう。そこに、夫婦が積み重ねてきた時間は見えるはずはありません。
それが見えてないのは、ある意味夫も同じことなのでしょう。
決して、妻であるあなたにとって不倫女性が有利であるはずはないのです。
不倫女性のことを思い浮かべて、やっぱり彼女の方が・・・と思う時、不倫女性にも夫の知らない面がたくさんあるのです。そして、それは妻であるあなただけが知っていること、妻であるあなただから知っていること、がいくつもあるはずです。
だからあえて私は言いたいのです。
妻と不倫女性では生きている世界、が違うのです。
都合の良い面だけの不倫関係と、苦楽を共に生きる夫婦関係なのですから。
一緒に作り上げてきたからこそ、いい時だけではなく 苦しいことや悲しいこと 辛いこともあったのです。そしてそれはこれからも続くのです、だからこそ生まれる強い絆、深い喜び、静かな愛情がそこにあるのだと信じているのです。
人を動かす出来事の力〜今は何も出来なくても・・・
昨日は、実家の母の介護のことで地域包括センターへ行ってきました。義母の介護はようやく終わりがきたと思ったら、次は・・・これが現実なのですが・・
実家の母は、独り暮らしですので 色々な心配が伴います。
そこに最近ニュースでもよく言われる高齢者の運転ミス、昨年あたりからその心配なことが時々あり、もう免許返納かというところまで考えていたのですが、昨日もやはりちょっとしたアクシデントが発生。
とりあえず何ごともなく、済んだのですが。
あわや何かひとつでも条件が変われば・・と思うと、とても 怖いことでした。
そんな出来事があり、私も前々から相談に行かなくてはと思っていた、地域包括へようやく足を運んだというわけでした。
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今のままでは、いけない。このままじゃよくならない、何かしないと変わらない夫婦関係、と思っていても なかなか行動できないのも事実です。
別居に踏み切るのか、それとも話し合うのか。
話し合うことは必要だとわかっているけど、今じゃないような気がする。
不倫の証拠をつかむために、どうするのか。
両親も巻き込んだ方がいいのか、それとも・・・。
いろんな決断が必要なこと、決断だけでなく、行動が必要なこと、頭ではわかっていること、でもできないこと、そんなことが数多くあります。
そして、行動できない自分、決断できない自分に、嫌気がさしたり、何もできないまま過ぎる時間に対してなんともいえない虚無感を感じたり、今を過ごしていること自体が辛くなったり・・・
それでも、動けない自分を責めることはないのです。
そんなあなたにとってもきっと、なんらかの出来事の力が助けてくれることもあるのです。
ただ、それを待ちましょう、ということではありません。
自ら動けるときは、動けるわけですから・・・
動けなくても、動けるときがくるのです。
その動きを助けてくれるのが、出来事の力です。
夫婦にとって、大きな出来事(大きな病気や事故、お金や仕事の問題など様々でしょう)が起きたとき 今先送りにしたり、向き合いたくないこと、逃げていることから嫌でも向き合わなければならないときがくるものです。
だからこそ、痛みを感じている間は まずあなたの感じている痛みを十二分に癒してほしいのです。傷の手当をしないまま、これからの夫婦修復への時間を闘うことはできないはずです。
何がきっかけになるのかは、ひとそれぞれでしょうし、またいくつもの出来事が重なったり、連なったりすることで、いろんな変化が生まれます。
そこで人の心の化学変化のようなことが起きるのです。
自分の心を知ることは、自分を責めることではないのです
夫婦や恋人、家族の行き詰まった関係を解きほぐすために必要なこととして、「自分の本当の気持ち」に気づくことや「自分の傷を知り、自分の心の奥にある感情」を見つけること、と言っていますが
この作業をするときに、やりがちなのが 自分を責めるということです。私が悪かったのかもしれない、私があんなことしなかったら、私があんな言葉を言わなかったら・・・
確かに、それは現実として起きたこと、確かに言った言葉、した行動だったのかも知れません。
でも、その行動とあなたの心はつながってるけど、責めることでは本当の心は見つからないのです。
自分を責めることと、自分の心を知ることは違うのです。
自分を責めているうちは、辛い思いをしてるにも関わらず、まだそれ以上の痛みを感じなくてはなりません。
あなたばかりが、辛い思いのままでは2人の距離は縮まらないですよね。
もう一歩踏み込んでみましょう
どうして、こんなにも自分を責めてしまうのか、自分を責めているのに、表面では夫を責めている。なぜ、こんなにも 人を責める私がいるのか…
そこには、私の中にある痛みをわかってもらえないという思い、わかってもらえない思いなら自分でも感じたくない、そのために、感じないためには、自分を責めて相手を責め続けるしかない。
責める世界は、正しいか正しくないかの世界、正しい正しくない世界には、痛みを感じるというモノサシは存在しないのでは、と私は感じています。
だから、自分を責めている間は 気持ちがスッキリしないまま、なのでしょう。
心の声を聞くことって難しいんですね。
そして、この正しい正しくない世界から離れられたときは、私の中にある痛みがわかってもらえたと感じるときにつながってるようにも感じます。