夫婦、家族〜離婚と生活、人生について考える

夫婦って何だろう、結婚って何だろう、幸せに生きたい〜そんなあなたへの言葉

正しい 間違い2択の世界の外に目を向けてみること

前回、夫を攻撃せざるをえないのはなぜ?〜攻撃タイプの妻の持つ特徴

という攻撃性についての記事を書いたのですが 攻撃性があるということは、それだけ悲しみももっている、癒えてないことがある、と言いました。 そして、攻撃をするということは自分の正当性をなんとかして伝えたい、わかってほしい、ということでもあるとも言いました。

 

この正当性を訴える、ということは間違いを許さないということにもつながります。 正しい、間違い、この2択の世界にいることになるんですね。 2択の世界というのは理論の世界です。

 

理論、理屈、理由、それがあってはじめて成り立ちます。

 

だからこの理論に合致するかしないのか、が正しい、間違い、の判断基準になります。

 

この世界から、もう一歩外の世界に 正しい、間違い、ということから離れた世界があります。その世界は 理論・理屈・理由じゃない世界、理論・理屈・理由のない世界ともいえるでしょう。

 

もっと言えば、理論・理屈・理由が通らない世界と言った方がいいのかも知れません。

 

2択の世界にいるうちは、攻撃性から離れることは難しいのかもしれません。この世界の判断基準をもって「私の正当性」を認めて欲しいと欲求しているのですから。そこではじめて「私自身」が認められる。「私のアイデンティティ」が成立するのですから・・・

 

この世界から離れるということは、ある意味自分自身をなくすこと(亡くす、失くす、無くす)につながるから怖いのです。自分が自分でなくなってしまうことほど不安なことはありませんから。だから2択の世界から離れてみることが、必要だと言っても それが難しいことなのです。

 

でも、難しいとばかりも言ってられないのです。

 

修復の中でもう一歩、なにか物足りないとか 修復へ向けているのにどこか私がいつも不安が消せない、ここから抜け出すためには、痛みを感じながらもこの2択の世界の外に目を向けてみること、2択の世界の外に何があるのだろう、と気持ちを向けてみることが必要でしょう。痛みを感じるから、逃げたくなるし目を背けたくなるのです。

 


ケガをして傷が治る時、膿がでますよね。その膿がうまく出ないと、化膿してしまいます。ここで感じる痛みは膿のようなもの、この痛みを感じながらでないと、外の世界をみることが出来ないのかも知れません。化膿させるとますます厄介になりますよね。 -

 

今、修復過程で 夫の不倫は終息したようだけど 私たち夫婦は 何か噛み合わない、私の不安は消えない 攻撃の感情がつい生まれてくる、そんな人にとって 今は夫婦の状態、或いはあなた自身の気持ちの何かが化膿している時期なのかもしれません。

 

だからこそ、丁寧に じっくり傷を直さないといけない・・・

外の世界に何があるのか・・

何を感じるのか・・・

そして、今までもっていた2択の世界にどうして私は居続けるのか・・・

どうして、正しい・間違い・の世界から抜け出せなかったのか・・・

どうして、それ以外の世界があると思えなかったのか・・・

 

そこに、何かの答えがあるのかもしれません。

2択の世界は、答えを出す必要があります。でも、外の世界には 答えをださないこともある、という価値観や、あいまいさというものが存在するのです。

このあいまいさが、人生という車のハンドルのあそびのような部分なのでしょう。何事もあそびの部分が必要、そこが時としてのびしろに変化したりもするのです。

 

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夫を攻撃せざるをえないのはなぜ?〜攻撃タイプの妻の持つ特徴

人を攻撃する

口撃ともいえるのですが

とにかく人のことが気になって仕方ない

そして、その気になる人のことを

言葉で打ち負かしてしまう。

 

噂話をリードしながら、その話題の中に必ずターゲットを入れて話す、ということもよくあることです。

 

 

こういうこと、日常の人間関係の中でもよくあることですが、こと不倫問題が浮かび上がった時、この攻撃性がよく表れてきます。

 

不倫女性から妻への攻撃

妻から不倫女性への攻撃

そして、それぞれの女性から不倫男性である夫にも攻撃がはじまることもあります。

 

 

不倫なんてありえない!

人の家庭を壊すなんて最低!という妻からの攻撃

 

奥さんよりも私の方が絶対彼にふさわしい

私の方が彼を愛している、という不倫女性からの攻撃

 

 

それぞれの立場から、自分の正当性を訴えます。

 

ここなんです。

 

攻撃をする、ということは

自分の正当性をなんとかして伝えたい

認めて欲しい、間違いと言われたくない

という感情があるのです。

 

 

もちろん、妻であるあなたが夫を取り戻そうとすることに間違いがある、と言ってるのではありません。そこに正当性はあるのですが、全てを正当性の主張だけで突き進むところに危険が潜んでいるのです。

 

そして不倫女性の、正当性を訴えたい気持ちはそのままです。

間違いだと認めたくない、これが真実なのだと言いたい、そんな感情からでしょう。

 

 

妻としては、自分の正当性

不倫女性は間違いを認めたくない気持ち

 

 

それぞれの立場で、自分の立場の正当性を訴えるのです。

そうやって、正当性を認めてもらえなければ 自分自身が存在しない、そこに自分のアイデンティティがあるのです。

 

 

間違いと言われた時に、さらなる悲しみを感じるから

もう傷つきたくないと防衛するから

その防衛が、攻撃という形ででてくるのです。

 

ファイティングポーズで防衛をすると、自然と攻撃体制になりますよね。

 

 

この攻撃は直接対決することではなく、怒りという感情になって表に出てきます

 

 

私の正当性が認められないということは、アイデンティティが脅かされる・・・私自身でなくなる・・・私っていったい何なの?というさまよう気持ち、不安定な気持ち、そしてこの不安定な気持ちこそ、私自身の悲しみであったり淋しさであったりするのです。

 

それを感じたくないから、怒りという形で跳ね返す

いろんなことに攻撃性がうまれてくる

 

 

それだけ悲しみを抱えているんです。

 

 

あなた自身が、まだまだ怒りが止まらないとか

いったん夫婦関係が落ち着いているにも関わらず、いつもどこかで怒りの感情に振り回されてしまう。

つい、攻撃的に人とかかわってしまう。

 

 

そんなときは、自分の中の認められない気持ち、認めて欲しい気持ち、もっと言えば愛されていてもまだ不安な気持ち、こんなものが潜んでいるのかもしれません。

 

 

だからこそ、怒りの根源は悲しみであると言われるのです。

 

 

攻撃性が強い人、というのはそれだけ悲しみも多く抱えているということなのです。

 

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夫を受け入れられない

読者様からの声、です。

 

いくつかの記事を読んでいて、とても苦しくなりました。

 私にとっては浮気や不倫ということはないのですが、
それでも夫とのことを考えさせられます。
苦しいほどに夫のことが受け入れられません。
とにかく人として信頼できないのです。

浮気や不倫で信用できないというのとは、また違うものかもしれませんが、とても寂しいものだと感じます。 

 

 

こんなメッセージをいただきました。

 

 

浮気じゃ不倫じゃないけど、夫のことが信頼できずその結果受け入れられなくなってしまった。

 

夫婦の過ごしてきた時間の中で、この奥様の感じてきた寂しさというものは、どれだけのものだったのか、と想像させられます。

 

私に届いたのは短いメッセージですが、きっとこの中に溢れるような、寂しさや悔しさ、苛立ちや、情けなさというものが詰まっているようにも感じました。

 

ブログ記事で表立って書いているのは、不倫問題を通して夫婦問題、家族問題における心の痛みやその受け止め方、そして、修復・再生への手がかりとなることなどですが、不倫問題がある、ない、に限らず 夫婦をやっていると苦しく悩める問題というのは起こるものです。

 

お金に関すること

親の介護に関すること

子供の問題(不登校・障害・病気・就職・ニート・・・)

自己中心でいつまでたっても自分のことしか考えない夫

妻が、身の回りのことから家のことまで全てするのが当たり前だと思ってる夫

数えだしたら、キリがないほどあるかも知れないです。

人の数だけ、夫婦の数だけ、苦しみ、悩みは、きっかけは違えど同じように苦しみとして、そこにあるのですね。

 

 

彼女の気持ちは、「不倫でもあれば、声を大にして言える、そして他人からも共感してもらえる。なのに・・・そんな問題もないのに受け入れられない私って・・・」と自分を責めてしまっていらっしゃるのかもしれません。そこが辛い、苦しいところなのかも、と思ってしまいました。

 

夫婦の問題、ひと言では言い表せないものです。

夫婦の信頼が壊れていく・・・それは、日々の生活の積み重ねから起きていることが多いのかもしれません。

 

 
 

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正直すぎる夫が、妻を傷つける

正直すぎる夫・・・この夫によって、妻がさらに傷つく、こんなこともよくあるのではないでしょうか。

 

不倫をしてしまった、バレてしまった、こんなときに正直にあやまってくれるのはいいのですが、自分の気持ちに正直になりすぎて、「浮気じゃなくて、本気だった」とか「実は、もう気持ちが離れてしまっている」と伝えられることは、どれだけ傷つくことか・・・「なにもそこまで言わなくても・・・」という気持ちが溢れてくることでしょう。

 

 

もちろん正直に伝えることは必要なことは多くあります。でも、状況によっては 言葉を飲み込むことも必要な場面もあるのです。

 

どうして正直に伝えたいのか・・・・

 

それは、自分の感じている感情をひとりで抱えきれないからです。そして、正直に妻に告白することで、自分の気持ちを軽くしたい、と同時に許しを得たい、という2つの感情がそうさせているのです。

 

昔から、「正直に言いなさい!」「嘘つきは泥棒の始まり」などと言われて人は育ちます、だからよけいに嘘をつき続ける罪悪感から解放されたくて、告白してしまうのです。

だって嘘をつき続けることは苦しいわけですから・・・

 

それまでは不倫を隠していたから、つき続けてこられた嘘が、バレたことによって、もう嘘をつくしんどさを抱えきれなくなってしまったのでしょう。

 

 

そして、許しを得たいというのも「正直に言えば許してあげるから」とよく言われた言葉でしょう。そんな無意識のコントロールから、全部正直に言えば許してもらえる、という思いで伝えてくるんのでしょう。

 

 

その結果・・・

こんなに正直になんでも言ってるのに、まだ許せないのか・・と怒りや、悲しみを感じ、その感情が今度は攻撃となって表れてくるのです。

 

正直に伝えたことが、全て真実のように受け取れる妻は、傷つくことに追い討ちをかけられます。不倫の事実で傷ついたのに、気持ちが離れている、不倫相手と本気だった!?だなんて・・・・

 

 

どうして、今それを言うのですか?

どうして、今そこまで言うのですか?

悲しみが、襲ってきます

聞きたくなかった・・と・・・

 

 

でもね、夫の言葉は、確かに本当のことかもしれません。

ただ、それが全てではないのです。

その瞬間は、そう思ったこと それは事実かもしれません。

でも、それが心の全てなのか、本心なのか、ということはわかりません。夫自身でさえもわからないことかも知れません。

 

 

 

過去にこんな記事を書いています

chie-kiku.hatenablog.com

 
不倫女性に向けて書いている記事ではありますが・・・
結局同じこと、言ってることが全てではないのです。
 
その瞬間、瞬間、に思うことを言う
そしてそれは確かに嘘ではない、でも全てではない
これが真実です。
 
妻の愚痴を言ったり、実は不倫は本気だった、それはその瞬間に感じていたこと、でもそれが夫の全ての気持ちではないのです。
 
記事に書いたように、日曜日の夕方「明日の会社が嫌だな〜」と思いながら本当に休む人はどれだけいるでしょう、確かに嫌だな〜と思いながらも会社には向かうのです。
 
夕飯作るの、嫌だわ〜 掃除洗濯、まるで家政婦こんな暮らし嫌だわ!と言いながらも、本当に嫌で放り出してしまうことまではしない・・・それは、やっぱりそのことを大切に思っている自分もいるわけです。
 
夫の、正直に発言する言葉も、同じようなことです。
確かに いろんな思いをもったのでしょう、それでも謝罪したり、時々家には戻ってくる、生活費を入れてくれる、そういう事実もあるのです。(そんなこともないのです、という場合もあるでしょうが・・涙)
 
 
正直すぎる夫、ある意味ここにも男性の幼児性が表れているのでしょう。言葉を呑み込むことは苦しいのです、ましてや自分が犯した罪を問われているような立場だとよけいにそのことを正当化したくなります。だから、いろんなことを理由つけて告白したくなるのです。
 

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(正直な言葉って、受け止めきれない時、心の中はこんな空のように複雑になりますね・・・)
 
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正直な言葉によって、心が通じ合うのは、お互いの抱えている傷にお互いが気づいてからなのです。そこで、はじめて正直な言葉を受け入れられるのでしょう。
 
そして、その伝え方、聴き方にもコツがあったりするものなのです。

 

ゆれる夫に、ゆれる妻、グラグラするから不安が生まれる 

修復への道のり、一筋縄ではいかないものです

夫は本当に修復をしたいと思っているのだろうか・・

夫は何かどこかに気持ちを残しているのではないだろうか・・・

夫は本当は修復なんて望んでなかった?

夫は一生懸命やってくれている、でも私の気持ちがすっきりしない・・

 

 

修復への一歩を踏み出せても、どこかに何かを忘れているような、これが目指していたものなの?という落ち着かない気持ち。

そして、またはじまる いつまでこの気持ちを抱えなくてはならないの? という不安。

 

結局不安がずっと私の心の中で占めていて、不倫に苦しんでいたころと形はかわっても、私の中にある不安ってずっと消えていない。

 

 

夫が、もっとしっかりしてくれれば・・

もっと強い気持ちで家族や私に向き合ってくれたら・・・

夫が、夫が、夫が・・・・

 

修復の道の中でも、気がつくと夫へのいろんな思いが溢れてきます。2人で修復しなければいけないのに・・・

 

 

でも、あの夫の様子じゃ、私の気持ちだって揺れてしまいます。

あんなふうになるなら、修復を望まない方が幸せだったのかも・・・そんな気持ちが ふとよぎったりします。

 

修復の大前提に、夫が変われば、という思い、いえ願いがあるのではないでしょうか。

 

でも、夫の様子は ・・・

修復しようとしているとは感じられない

かと思うと、やっぱり修復したいと思ってもいるようだし

わからない、わからない、わからない。

 

 

いっぽう、私は・・・・

修復したいと思っているはずなのに、あんな夫のままじゃ変われない、あんな夫のままじゃ修復なんて無理、でも、やっぱり修復したい、どうしたらいいの・・・ぐるぐるまわる不安定な気持ち。

 

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こんな状況からほんの少し抜け出したときに聞く言葉、みなさん同じ言葉になるんです。

「結局は、最終的に私がぶれなくなることですね」と・・・

いろいろあるけど、この人と残りの人生をやっていくんだ、という気持ち、この気持ちが以前はグラグラしていました。と・・

夫次第、と夫の気持ちを測っていたようなところもありました。

これじゃあ、こんな私じゃ夫も向き合えるわけないですよね。と・・・

 

今は、夫がどういう状態であっても 私は夫と生きることを決めました。夫が気持ちよく私と向き合えるときまで私がブレないで夫婦の人生をあゆむと決めたんです。

 

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不思議なものですが、夫が不安定な時って 妻の気持ちも不安定なんです。夫が変われば、それとも妻が変わる方が先か、というにわとりか卵かのような論争になってしまうのですが、それでも夫婦のどちらかが安定することで、もう一方のパートナーが安定していくものなんです。

 

結局は、腹をくくり私の人生を生きることになるのですね。

私の人生を生きるというのは、まるで離婚を選んでひとりで生きることや、仮面夫婦を続けていくこと、私だけの楽しみを見つけて生きることのようにとられがちですが、夫と共に生きるのだけど、それでも私自身の人生、私の人生は夫と共にある、そして夫がどんな夫であっても、受け止めてこの先の人生も一緒に生きる、そう決めた時に私の人生を生きるといえるのではないでしょうか。

 

そして、そんな気持ちを感じたときにブレない強さを感じるものです。

 

この強さが夫婦修復への礎になるんだと感じています。