受容の邪魔をするもの
「受容の邪魔をするもの」
受容って、ありのままの相手を受け止めるということ
相手が「受け止めてもらえた」と実感してはじめて受容できたというのですね。
ひとは自分目線、自分の価値観での判断をすることがどうしても日常の場面では出てきます。それは当たり前のことかも使れません。でも、大切にしたい相手を心から受け入れるときには相手の心をまるごと受け入れてほしいのです。
そんなときに、自分の価値観を軸にして、正しさ、常識というものが邪魔をするんです。
だって、それが常識でしょ
だって、そんなの普通じゃん
当たり前じゃない
こんな口癖や思考ありませんか?
悩んでいる人、理解してほしい人からしたら 常識や正しさなんて、わかっているのです。ただ、そのようにできない自分がいるから悩むのです、理解してほしいのです。
この正しさや、常識は邪魔をするだけではなく悪さもします。
その悪さが 条件付きの受容になるのです。
学校休んでもいいよ、でも朝は起きてね、でも、勉強はしてね、
飲み会にいってもいいけど、家のことちゃんとしろよななどなど・・・
私の許した条件のもとでなら、あなたを受け止めてあげる
これが条件付きの受容です。
そうなると、今度はどうでしょう
ちゃんと起きたから学校休ませてね
家のこと完璧にするから自由に出かけさせてね。
ここに感情のやりとりがあるでしょうか・・・
相手の気持ちの理解があるでしょうか・・・
条件付きの受容がもたらす怖い一面です。
正しさはどこまでいっても正しいのです
その正しさが弱っている人をさらに追い込むことになるのです。
いったん自分のもってる、常識、疑ってみてもいいかもしれません。
自分が泣き言をいいたいとき、そうかそうかと聴いてもらえることがどんなに励みになることか・・・そんなときに、正しさほど怖いものはないんじゃないでしょうか。。。