夫婦は家族の最小単位、だけど夫婦だけにないものがある・・・
★夫婦は家族の最小単位、だけど夫婦だけにないものがある・・・
夫婦があって、子供ができて家族ができる。
親があって、兄弟がいて、夫と結婚し大きな家族というくくりができる。
そんな中で、親子や兄弟には不思議な感情があるのですが、それが「許す」という感情。
あんなに、喧嘩していたのに、
いつしかまた仲良くしているというのが兄弟であったりします。
また親子もそんな感じで、あんなに怒られたのに、
こっちだって本当に頭に来たんだから!
となっていても、「まあ、いいかっ」となんとなく許せてしまうことがあるのが、
この血縁のつながりです。(もちろん血縁者でも、悲しいほどに繋がりを絶たれている方もあることかと思いますが・・)
夫婦には、このつながりはないのですよね・・・不思議な関係です。
そこから言われる言葉が「夫婦は他人だから」というものでしょう。
同じように喧嘩をしても、なんとなく許せる身内。
一方、夫にはどんな感情を感じますか?
夫婦喧嘩は犬も食わないと言われるほど、
いつのまにか仲直りできているという状態の時はいいですが、
夫の態度がなんだか気に障る、どうして謝らないの?と自分の正当性を強く感じ、
相手にはスキを与えないほどに怒りを感じる。
これが、身内なら・・・腹は立つけど、もういいやと自然と納めている自分がいる。
この違いを、なんと説明したらいいのでしょう。
これが血の力、とでもいうのかもしれません。
説明はつかないけど、許せる相手、血の繋がりというものは、自分のアイデンティティーである、ルーツ(祖先)が同じというところにあるのでしょう。
これは、ある意味 動物的な感情なのだと思っています。
同じ、種から生まれたという繋がり、それが同じ仲間だと動物的に脳が判断して、
相手を許す、受け入れる、ということをする。
夫は、そこが違うのです。
逆に、夫の家族の中で 私1人がどうも違和感を感じるということもあるでしょう。
でも、人はこの違和感を感じながらも、夫と融和しながら新しい家族を作り上げていくのです。
作り上げていくものなんだけど、
自分の家族にはもう出来上がっているかのような錯覚を感じるのも正直なところです。
だから、夫にもなんとなく許せる身内と同じようにしてしまう。
それは夫も同じことで、、黙っていてもわかる、きっと通じている、許してもらえているはず、という今までの身内と感じ感覚になってしまうことがあるのでしょう。
そこから、お互いの埋められない溝が作られてしまう。
夫婦とは本来努力してお互いのことを理解し合わねばならないものなんですよね。
でも、自分の中では家族という括りの中にいるから、
なんとなく許せる身内と同じように感じてしまう。
身内への感情が、動物的に許せるものだとしたら・・・
夫婦の許せる感情は、放っておいて生まれるものではないというもの、
お互いの許し合うという心や認め合うという理解によって
生まれるものなのではないでしょうか。
長年連れ添った夫婦が、お互いのことを理解し合えて言葉もいらないという様子であったり、それこそ犬も食わない夫婦喧嘩であったり、するのは夫婦お互いの許し合う心が作り上げたものなのでは、と思えます。
夫婦だけにはない、血の繋がり・・・
だけど、その血の繋がりの元を作り上げているのが夫婦であることも大きな事実です。
夫婦だけにはないかも知れないけど、夫婦にしかない繋がりがあるのです。
あなたの気持ちを支えるものが、そのどちらを強く感じるのか、もあるでしょう。
修復を強く願い、家族への拘り、夫婦への拘り、が強いときは、夫婦にしかない繋がりを信じられる時でしょう。
その逆で、どうしても夫と相容れないという時は、動物的な種の感情が大きく感じられるのかもしれませんね。
そんな動物的な感情の部分が、どうしようもない自分ではコントロールできない感情とつながっているようにも思えます。