夫婦の問題は、不倫だけではない〜不倫でもあればよかったのに・・妻の心の叫び〜
浮気よりも許せないこと
浮気よりも許せないことってなんでしょう?
パートナーの不倫で悩んでいる人にとって
これ以上の裏切り、許せないことってない!と思ってしまいますが・・・
この「浮気よりも許せないこと」・・ここに不倫問題の本質に近づくヒントがあるのです。
婦人公論2015年6月23日号での漫画家、柴門ふみさんのインタビューのタイトルが
『浮気よりも許せなかったのは家族の無関心』でした。
とても胸にささる言葉ですね。
多くの女性が、夫婦生活・結婚生活の中で感じる許せないこと・・そして悲しさ、寂しさの原点にもなっていること。
愛情の裏返しは、無関心。嫌い!腹が立つ!という感情は相手に関心があるからで、だからこそ、好きの反対は嫌いじゃなくて無関心と言われるのです。
浮気よりも許せない、それくらい悲しみを感じる無関心という状態。妻として、パートナーとしての存在意義、結婚というものがあなたにとってはなんだったの?
夫にとって結婚はひとつのツールに過ぎなかったのではないか・・・そんな気持ちにさえなります。
そこに妻の わたしである必要性、妻としてのアイデンテティーは全くなくなるわけです。
このアイデンテティーの喪失、がひとの悲しみの素になります。
わたしって何なの?
わたしの存在意義は?
だからこそ、夫婦のすれ違いの悲しさは 途方もない悲しさであり辛さであるのです。わたしの存在意義さえ疑うわけですから、自分を傷つける悲しい事実が起きます。
こんなわたしは存在しても意味がない、生きている価値がない、抜け出せない深い闇の世界が押し寄せます。
あなたが今、不倫問題で悔しい、悲しい、思いをしているその現実の裏側に、こんな問題は隠されていませんか?このことを感じるのが怖い、わかっているからこそ認めたくない、認めるとますます妻としてのアイデンテティーを侵される、そんな防衛反応から、なかなかこの内面の問題にまで気持ちが向き合えない時期もあることでしょう。
泣いて、泣き切ったあと、悔しいと罵倒したあと、自分の中のドロドロした感情を吐き出したあとに、この悲しみの原理由でもある、夫の無関心ということを考えてみるのも必要でしょう。
そして、この無関心問題、つきつめていくと・・・夫だけではなく妻自身にも問われる言になるのです。家庭はとても大切に思ってきた、子供も大切にしてきた、そして夫に対しては・・・家庭の夫、子供の父親としての役割を求めていただけなのでは・・
不倫問題からひもとく家族問題、夫婦問題・・・このように、いろんなところへつながっていきます。だからこそ、理由はひとつではないし、原因も複雑にからみあっているのです。
ただ、現象として表にでてきているのは不倫問題という現実の問題、それだけなのです。
あなたを理解したい気持ちと知りたい気持ちの違い
あなたを理解したい(夫を理解したい、妻を理解したい、息子を、娘を理解したい)
この気持ちが、今の悩みを解決へ大きく前進させるベースになります。
いつも私は、理解したいと思ってるのにちっとも通じないのです
そんなふうに思っていませんか?
それは、理解したいという気持ちの奥に
「わたしが理解できるように伝えてよ」という意識がひそんでいるのです。
これ、無意識のエリアにいるものですね。。。
でも、そう思われている時、問題の相手である夫とは理解しあえることは不可能なのです。
心の問題をときほぐすとき、「わたし」が邪魔をします。
いつまでたってもこの「わたし」が意識の中心にいる間は、相手のことはわからないのです。
あなたは、今どんな気持ちなのでしょう
あなたは、あのときどんな思いをもっていたのですか?
わたしがわかるように、ではなく
わたしがあなたに寄り添ってはじめて心が通じるのです。
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あなたを理解したい、というとき
あなたのことを知りたい!
この気持ちにひっぱられていませんか?
あなたのことを知りたい!
というときの主体は「わたし」なのです
知りたい、と思う時
必要以上に詮索したり、妄想したり、
自分主体の思いにひっぱられて
結局知りたい相手のこと表面的にとらえてしまいます。
特に行動ですね
昨日はどこへいった、
何をした、誰といた、
なんでそんなところへ行くの?
なんで嘘をつくの?
わたしの知りたいことはいっぱいあります。
数えだしたらキリがない
そして、その妄想は止まることをしりませんん。
次から次へと質問攻め・・・
相手をを理解するということは、そんな表面的なことではなく もっと奥深い心を感じなければいけないのです。知りたい気持ちの中の「わたし」という主語をはずしてみてください。あなたの心の中にある、わたしをいったん追い出すことで少し落ち着いて相手のことが理解できるようになるものです。
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結局は、こういうことができるのは、自分自身の心がやわらかくないとできないこと。身体のコリと一緒です、心も凝り固まっているときは心のマッサージ・リラクゼーションをうけてはじめてやわらかくなるのです。
カウンセラーの存在は、そういうためのものなんですね。
知りたい、という気持ちと理解したいという気持ち、似ているよう違うようでいて、「わたし」は大切にしながらも物事を見通す時に、いったん横における余力が生まれてきた時こそ、問題解決へ進む最初の一歩なのかもしれないです。
思い出があることの幸せと悲しさ
付き合い始め、新婚当初
「これからたくさん思い出作っていこうね」と言います。
思い出がまだない頃は、二人の思い出があることへのあこがれ、二人の歴史を作り上げていくことへの希望にあふれていました。
希望があると同時に、まだ思い出がないという不安も抱えていました。
そして月日が流れ、思い出が積み重なってきたころ
気がつくと、思い出しかない今の現実を感じるときの新たな寂しさと、これからどれだけの思い出が積み重ねることができるのだろうという不安。
また逆に振り返ると、思い出って何だったんだろう?という虚しさ。
私の思い出は出来事だけ?そのときの思いは、いったいどんなだった?
今を通じて過去の本当の思いを探る作業
夫婦関係に行き詰ると、思い出があることさえ悲しみのもとになってしまいます。
思い出に左右されるのは本当に辛いです。その思い出は確実に二人にあった歴史それでも、その思い出が今のあなたを辛くさせることもあります。
思い出が、輝くのは今の生活の輝きがあってこそなのですね。
虚しいですね、一生懸命作り上げた歴史のこと
いっそ、そんな思い出が出てこなければ私は楽なのに・・と思う人もあるでしょう。
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また、逆にいったい私の人生に思い出はあったのか・・・
大切にしたい思い出とは、出来事と同じだけの思いが感じられるからこそなのです。
私の思い出に確かな思いがあったのかさえもわからない、
信じられない、そう感じるときはまた別の意味でも虚しいものです。
結婚生活に求めていたものと結婚の原点
結婚生活に求めていたもの、あなたは何を求めていましたか?
安定、安心、そんな言葉がつい浮かんできます。
いったい何に対する安心でしょう?
それは、永遠の愛が手に入るという安心
結婚式の宣伝文句には「永遠の愛の誓い」なんて言葉が溢れています。誰だって、この愛を信じ 結婚をするのでしょう。
結婚すれば、私は愛され続ける そんなふうに思ってしまうのも無理はありません。
だって幸せの絶頂ですものね
でも、愛されるということばかり意識がいくと、私が愛する、ことがおざなりになっていませんか・・・
愛は、愛し愛されてはじめて満足感と安心感が生まれます。
愛される、ことだけ望んでいたとしたら、自分はどんなふうに愛していたのだろう・・・
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そして、もうひとつの安心もありました。
生活することへの安心
人から見える社会的な安心、男性でも女性でも平均的な年齢で家庭をもつことで一人前になれた感覚がうまれます。特に男性であれば、それが社会的な立場を安定させることへもつながっています。
結婚適齢期と言われる時期を、なんとか無事に通り過ぎたい。親を安心させたい、友達に遅れをとりたくない。
こんな思いで結婚にいきついた人もいるでしょう。
この場合、結婚自体が人生の目標になっていて
私の結婚は、とか
私はこんなふうに幸せになりたい
私はこんな家族をつくりたい
と、結婚生活に対して主語が「私」になりがちです
そこに結婚相手が夫である必要はどれくらいあったのでしょう。
その夫との結婚生活、表面的にはうまくいってても どこかに少しずつひずみが生まれていたのでしょう。
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不倫の事実をつきつけられるとき、それは自分の結婚生活の原点を思い出さされる出来事なのかもしれません。
それは幸せの原点を思い出すことになる人もいれば、結婚に私の人生しか捉えていなかったと気づく人もいるかもしれません。
結婚の原点をもう一度見つめ直し、これからどんな生き方をするのか、夫と私の人生をどう描いて生きるのか、これこそが夫婦再生への 原点になるのです。
再生の原点、とても大切ですね、夫婦が生まれ変わるための原点です。
生まれ変わったら、なんてセリフをよく言いますが現実にはそんなことはなかなかないもの、でも夫婦を再生することだけは、生まれかわることができる そんなふうに思えます。(再生には、いろんな形が存在するのですが、それはまた改めて・・・)