妻が家庭の主権者となってしまう現実
結婚して、女性は役割を引き受けて成長していくということ、それに対して男性はどうしても未成熟さが残ってしまうということを未成熟な男性たちと夫婦問題という記事とで書きました。
ただ、もう一面では家庭という場を与えられた女性がその小さな社会の中でいろんな采配をしながら生活をしていくことで、どんどん自分の主観が、全ての基準として成り立っていく・・そこから夫婦のすれ違いが生まれる危険も持っているのです。
それまで生きてきた社会の中から離れて、自分の家庭という小さな社会をスタートするとその中でのいろんなルールが生まれてきます。そこが二人の一致するものであればいいのですが、どうしても家庭の中にいる時間(具体的な時間というよりも関わりの時間ともいえます)の多い女性中心になってしまうということは往々にしてあるものです。
それは、家事の主体であったり子育ての主体がどうしても女性側に任されているという現実もあるからなのでしょう。
生活の中のルール(主に家事に関することが多いかもしれません)ゴミの捨て方、食事の段取り後片付けの仕方、お風呂に入る段取り、電気を消したりつけたりすること、家庭の中にはいろんな小さなルールがたくさん存在します。
それを女性が中心となって家庭生活を進めて行くと、家庭の主導権がどうしても女性になっていきます。その基準が妻の基準に自ずとなって行くのは仕方がないことなのかもしれません。
この主導権をもった妻は、今度は全てが自分の意見が正しい、自分の言う通りにことを進めたい、自分が納得できる方法であるべき、と家庭の主導権から夫婦の主導権へ、そして人生の主導権をも持ってしまいたくなり、その結果夫の人格、人間性、生き方にまで主導権をもって接してしまうのです。
これは、自ら意識してするのではなく、日々の積み重ねの中から無意識でやってしまうので厄介なのです。
その主導権は、こうした方がいい、こうするべき、と夫の管理になっていきます。服装から考え方に至るまで、いろんなことを自分の思う通りにしてくれないと気が済まなくなってしまうのです。
私の思う夫でいてほしい、私の描く夫でいてほしい、私の望む夫でいてほしい、夫のことを全て知っておきたい、と管理者のようになって行くのです。
二人で築いて行くはずの家庭が、気がつくと一生懸命支えているのは妻ひとり・・・支えている妻は必死で誰に頼ることもできないまま、どんどん大きな問題まで抱え込んでいく
夫は、一緒に支えるつもりだったとしてもそこに存在価値が見いだせないままの時間がすぎることで居場所がなくなると感じる。また管理される生活から逃げるように仕事や不倫という世界に入り込んで行くこともあるのです。
この現実は、妻が主権者にならざるを得なかったという面もあり、結婚生活の難しさを感じてしまいます。
多くの人は自分が我慢することが美徳だと思って育てられます。
妻も、最初は夫に負担をかけないために、という思いからいろんなことを妻として引き受けていったのでしょう。その結果自分の意思がどんどん夫を管理するようになってしまっていたことに、今こうして気がつくということなのかもしれません。
もっと人を頼ってもいい、甘えてもいい、それが結果として支え合うことにつながる、もっともっと人は、人としてのあり方を学ぶ場があればいいのでしょうね。
だからこそ、私たちカウンセラーはカウンセリングだけでなく多くの人に、このあり方を伝える役割も担っているのだなと感じています。
妻のどこが好きですか?夫のどこが好きですか?
「妻のどこが好きですか?」こう聞かれて、自分の中にある気持ちを、さらりと口にできる男性はどれくらいいるのでしょう。付き合っているうちならともかく結婚してからは、そんなこと気にもせず過ごしていることが多いのではないでしょうか
妻の妻自身の良さ、妻でなければいけない理由、それが夫の中にありますか?
そして逆に「妻への不満を言ってください」と聞かれたら、あれもこれもと簡単に言葉が出てくる、そんなことはないですか?
これ、妻にしても同じこと 夫の不満は簡単に出てくるけど、いいところと聞かれてもすぐには浮かばない。
お互いが、お互いの足りない部分にばかり意識がいってしまっている。
足りていることは、あって当たり前のことになってしまい、魅力であったり、いいところは見えなくなってしまっている状態。
また別の見方では、自分が結婚しているという満足感やステイタスとして、そのための存在が妻であったりしていませんか?
妻が妻でなければいけない理由、それがあるのかないのか・・・
夫が夫でなければいけない理由も同じことです。
不倫をしている側にも、された側にも この意識が足りていないことばかりに向いているということはあるかもしれません。
お互いの存在、夫婦でなくてはならない理由、これを考えることは修復・再生のためにもとても大切なことなのです。
この問題は、不倫問題で悩む方だけではなく これといった大きな問題はないけど、それでも夫婦のすれ違いを感じるという方にも言えている問題かもしれません。
改めて、お互いの魅力について考える・・・それは自分の愛情を再確認することでもあるのかもしれませんね。
夫が嘘をつく・・・そこには修復の余地があるということ
夫の不倫を疑う、どうも怪しいから確信へ・・絶対、間違いない、次は証拠を・・と思っているとき、そんなときでさえ平気で嘘をつく夫
この嘘に、本当に嫌気が差すこともあるでしょう、わかりきってる嘘をつく、或いは苦労してアリバイ工作してても妻にはわかる嘘。嘘とわかればわかるほど、また嫌悪感が増すのも妻の辛さです。
でも、どうして夫は嘘をつくのでしょう。不倫相手が好きなら、好きと言えばいいのに!そんなにこの家が嫌なら出て行けばいいのに!と感情は高ぶります。(でも、出て行くと言われるとまた悔しくて腹が立ちますが・・)
夫として妻に嘘をつくには、理由があります。
もちろん、隠し事である不倫だから嘘をつくのは当たり前
じゃあどうして隠したくなるのか・・・
妻と不倫女性と両方失いたくない
バレるまでは、不倫女性との時間を楽しみたい
・・・結局、最終的には妻のところに戻りたい、戻るところは妻のところ、という心理があるのでしょう。
隠す、嘘をつくということは、バレない限り続けたい不倫、ということですが、それは裏を返せば、バレたら終わりの関係であるということ。
夫が隠し続けている限り、ある意味、夫婦として戻るべき場所はここであるという意識が、気づいているかいないかは別問題として、あるということなのです。
でも、それはもう一面ではそれだけ妻に甘えている ということでもあるのです。だからこそ妻は腹が立ちます。どれだけ私に頼って、どこまで自分勝手に甘えているわけ!?と・・・
嘘をつく別の理由には、バレた時の責任をとるのが怖い、とてもとれない、という心理もあるでしょう。ここでも甘えが感じられますが、それでもその責任の重大さというものを感じているのも事実だということです。
嘘をつくということには、夫として責任をとる怖さや、妻に甘えるという幼児性を伴っていますが、それでも嘘をついてでも現実の世界、生活は妻と夫婦として生きていく、と思っているからこそなのではないでしょうか。
この幼児性やズルさに、怒りや腹立ちを妻は感じます。
嘘をつくということから垣間見える夫の幼児性とともに、最終的な居場所を妻に求めているのも感じられます。だからこそ、修復の余地は残されているのです。
ただ、その修復は謝罪して家庭に戻るだけでは、修復とはいえない、だからこそ、ここで夫婦としてお互いの意識、妻の存在、夫の存在について、もう一度再構築して行く必要があるのでしょう。
そのためのお手伝いを私たちカウンセラーができるのであればうれしいことだと思っております。
離婚が決断できないわけ・・・
夫婦問題で悩み、最終的な決断としての離婚
そうする方がいい、とまわりは言うし自分でもそうなのかな〜と思う。でも、決断できない・・・
生活の心配をしているから?
世間体を気にしているから?
せっかく築いた家庭を失いたくないから?
子どものことを考えて経済的にも世間的にも離婚ができない・・
いろんな思いが自分を責めてくる
夫の不倫で傷つき、そこで自分が女性として、妻としてなんてダメなんだろうと自己否定する日々、こんなふうに自分を責めてしまう日々。そして、今度は離婚をできない自分をまた責めてしまう。
頭ではわかっている、条件的にも離婚した方がいい、そうわかっていても決断できないのはどうしてでしょう
もちろん、経済的なこと世間体・子どものことという面もあるでしょう、では、経済的な安心があれば離婚の決断ができるのでしょうか・・・
今の気持ちのままじゃきっと、不安な材料が全て不安でなくなったとしても変わらないでしょう。
離婚は、前を向いて決断するのと同じだけ、自分の過去にも決断を求められます。夫と別れるということはそれまで生きて来た自分とも別れることになります。
夫と過ごした日々が懐かしい、あんな日々もあった、という切ない想いからだけではない 夫と生きると決めた自分、この人と結婚しようと決めた自分、そんな自分を一旦否定することになるから、だから決断仕切れないのです。過去の自分を否定するなんて、できないですよね。
でもね、過去の自分と別れるということは決して否定することではないんです。
人生には、どうしようもないことや その選択しかなかったこと、選択せざるを得なかったことなどが多くあります。そんな人生の中で自分の気持ちとどう折り合いをつけて生きていくのか、が大切なのでしょう。
この離婚という選択も、これからどう生きるのか 夫婦のお互いにとってよりよき人生を歩むための一歩だと思えるとき、そして自分の過去の歩んで来た人生を否定することにはつながらないと思えた時に決断できるのかもしれません。
そして、不思議なことに、夫婦としてこれからどう生きるのかということと、今までの人生への否定がなくなったとき、というのは修復の第一歩、やっぱり夫と生きて行きたいという思いが生まれてくるときでもあるのです。
離婚・修復、どちらの道を選んでも前を向いた時が夫婦再生のスタートになるのです。
自分自身の生き方が見えて来た時が、私にとって夫婦って何なのか、結婚生活って何なのかということがわかるのかもしれません。
未成熟な男性たちと夫婦問題
「未成熟な男性たち」男性とは限らないですが、未成熟ということは単に大人になれているか、大人の考え方ができるかというレベルのことではなく、自分のアイデンティティーをどう持っているか、ということになるのでしょう
女性は、就職・結婚・出産など人生のステージや役割が変わるとともに(変わるというよりも、増える、追加されていくという方が正しいかもしれませんね)どんどん成長して、成熟した人間性が育っていくものですが、男性はどうしてもその人間性の成熟する機会が活かしきれない場合が多いのです。
だからこそ、人との関わり方や人生観において、どうしても未成熟な精神性を持っていることが多く、それが成熟していく妻との意識のズレになってしまうことになりがちです。
そのズレから、妻は夫に対して幻滅を感じたり寂しさを感じたりします。また同時に夫もなにかわからないけど妻との埋められない距離感を感じたり、そこから逃げるように不倫に走ったり、見てみないふりをする生活をしてしまったりするのでしょう。
男性の未成熟さは、どこから来ているのか
年齢だけは重ねるけれども、いつまでたっても息子のままでいることの多さもあります。特に親元から離れず生活していた男性に起きがちなことですね。(親元から離れていても、親の関わり方によっては同じことである場合も・・・)
どちらにしても、親、特に母親との関わり方が影響しているようにも感じます。母親が何でもしてしまう、行動だけでなく気持ちまで先回りして代弁してしまう、そんな暮らしを積み重ねて来た男性は、自分の気持ちを自分の言葉で語ることができません。
また、勉強を一生懸命やってきた、スポーツをとても頑張って来たという優等生タイプにもありがちなことです。
勉強さえしていればよい、という環境
勉強ができることが人としての成熟の証のような環境
スポーツもしかり、頑張っていればそれでいい環境
それでいい環境というと同時に、その頑張りを求められる環境でもあったともいえるでしょう。
そんな男性が、成人し結婚した時にどんな問題が生まれてくるのか・・・
今までは、勉強やスポーツなど自分に与えられたことさえしていれば、それでよかったのです。そして、そこで十分に褒められることで自己充実感も感じ生きてこれました。
しかし、結婚すると、今度は仕事さえしていればいいわけではなlくなります。自分のことだけしていればよかった独身時代とは大きく変わってくるのです。
自分のことだけ考えていればよかった生活から、そのまま結婚しても同じ感覚でいると「俺は仕事をしているんだぞ」となりますし、妻に求めるものも多くなります。そして妻からは、「あなたは自分のことだけ・・」という言葉をかけられてしまう、その結果なぜだかわからないけど、夫婦の気持ちのズレを呼ぶのです。
また、今までは頑張って褒められて来たことが「あなたは好きなことしかしないのね」「仕事だけなのね」と同じ行動をしていても、今までのようにはいかなくなってきます。
自分のペースで生活し、自分の気持ちも代弁してもらうことが多く、自分で語ることもない、そんな夫に妻はどう接するのか。
一面では、もっと頼りたいと思いながらも、夫のペースを守ることに協力し、夫の気持ちを代弁し、ひとりで家庭を切り盛りしていく・・・気がつくと、母親のような役割を自らやっていたり、求められていたりもします。
未成熟さとは幼児性ともいえるでしょう。
なんで自分のことをわかってくれないのか、という自分を認めてほしい欲求、そして欲することと与えることのバランスの悪さ、(欲求が強いあまりに与えることが少ない、できない)自分が・・という自分の思いの強さから、妻の思っていること、考えていることへの想像力の乏しさ、などになります。
人としての成熟とは、どれだけ人の気持ちに敏感に感じ取ることができるのか、ということにもつながっているように思います。
それが社会的な人間性とは一致しないことも多いでしょう。
外の世界では、人から頼られる存在であっても最終的なところでは甘えが出てしまう。
だから、不倫相手にはカッコイイ言葉が出ているのに、妻には自分が甘えてしまって暴言を吐いたり、逆ギレをしたり、まるで違う態度になってしまうこともあるものです。
甘えられるということは、ある意味とても大切なこと 安心感というものに支えられているものですが、こと夫婦関係で問題が生じた時には この甘えがある関係性が問題をよりややこしくしているようです。