不倫が起きたことに意味があると言われても・・・
不倫が起きたことに意味があると言われても・・・
夫婦に起きた不倫問題、
妻にとっては 自分の命を削られるほどの傷みと苦しみになる問題です。
そんなときに、目にする、耳にする言葉に
「この不倫問題にも意味がある」という言葉・・・・
(そんなニュアンスを私たちも伝えていることがあるのは自覚しています)
落ち着いて考えれば、確かに きっと意味があるのだろう、
きっとここままの私じゃこの先生き苦しくなるんだよ、と教えてくれているのだろう、そんなふうにこの問題を捉えることの大切さもあります。
が・・・!!
そうは言うものの、そうかもしれないけど
それでも どうして不倫なの?!と言いたくなることもあるでしょう。
そして、それと同じくらい 私が何をしたというのですか?
と叫びたくなることでしょう。
もしも神様がいるのだとしたら・・・
どうして、私にこんな仕打ちをするのですか?
そんなに私は悪いことしましたか?
私に何を知らせようと こんなことが起きるのですか?
自分に起こることには全て意味がある 確かにそうかもしれない、
それでもこんな思いをしてまでのその意味などもういらないとさえ思えてしまう。
辛い時に、またさらなる試練のような出来事が起きたり
夫の態度が、どんどん変わってしまったり
届かぬ思いを感じて、心が折れてしまう
私が何をしたというのですか?
ただただ、そんな言葉をぶつけたい
誰にもぶつけることはできないけど・・・
こんな気持ちの時は、とても気持ちが整うと言うことからは程遠い状況です。
頭ではわかっていても、それでも・・という気持ちです。
1人では、辛過ぎます。
誰にもいえない悔しい思い どこにもぶつけられない怒りや悲しみを ほんの少しでも吐き出すことで、どこにも向けない自分を立て直すことができるものです。
どうして?どうして?という気持ちから 私が向き合う問題は何かという頭でわかっていることを心で実感できるようになるのです。