夫を信じるために必要なこと〜痛みの一体化とは?
やめられない不倫の証拠探し〜夫を信じたい心がそうさせる〜
この記事で夫を信じることが必要になると書きましたが、
なかなかこの信じるということが難しいのですよね。
だって、もう信じられない人だから、
私の中ではそんな認識が出来上がってしまったから・・
どんな行動さえも疑いにつながってしまう。
無理もないことです。
それでも、夫を信じることが、これからの夫婦の再構築には必要なのです。
(わかっているけど、できないから苦しいのですが・・・)
時間の経過とともに、心の中にふと「信じてみようかな」そんな思いが生まれてくることもあります。でも、どうしてもそんな気持ちになれない、どうしたらそんな気持ちになれるのでしょう?という方も多いことでしょう。
夫を信じてみよう、そんな気持ちになるときとは・・
妻自身の痛みが癒えること、
それから夫の痛みは何だったのかと
自分に向いていた矢印を一旦夫に向けてみるのです。
もちろん許せない!という感情が先立っているときは、まだ難しいことかもしれません、それは感情の矢印が自分に向いているときです。
私の悲しみを知ってほしい、
私の怒りをわかってほしい、
私の辛さを感じてほしい、
と私の感情が優先されているときです。
それでも自分に向いている感情がほんの少し落ち着いてきたとき、
感情の矢印を夫に向けてみるのです。
そうすることで夫の痛みや、辛さが見えてくるものです。
夫も淋しかったのかも、
夫も伝えたいことがあったのかも、
夫の弱さの理由はなんだったのか、
夫の生き苦しさはなんだったのか、
といろんなことが感じ取れるものです。
(だからといってそれで不倫を正当化されるものではありませんが・・・)
この痛みを感じ取ると、妻はとても苦しくなるものです。
だって私の方が苦しいはずなのに、私の方が辛いはずなのに、
夫も苦しかったことを認めると、私の苦しみの方が軽かったもののように思えてしまうから・・・そんなこと許したくない。
だから夫の痛みを、なんとなく感じながらも 許せない、
それはそれ、別問題、とどこかに置いてしまい
また夫を信じられない・・・このループに陥るのです。
それでも、この夫の痛みと私の痛み・・・2人の痛みを統合するのです。
ここで痛みの一体化をすることで、
私も辛かった、夫も辛かった、
もしかしたらこの辛さの根源は同じところからきているのかも・・・
そんなふうに思えるものなのです。
夫婦の一体化によって、 お互いのことを無意識の領域で認識してしまうことがズレのはじまりだとしたら・・今度は、お互いが抱えていた痛みを一体化することで、意識の領域ではない無意識の領域で、夫の痛みを感じることができると きっと夫を信じることにつながるのだと思います。
意識の領域は、理屈や理論で説明ができること
無意識の領域は、理屈や理論で説明できない、けど、そう感じるのだよね。という世界。
だから、許せないけど、信じてみよう、が成り立つ世界なのです。
夫婦の一体化、は基本的にはよくなくて
一体感を感じる生き方をしてほしいと思うのですが、
こと痛みに関しては一体化することで救われるのかも知れませんね。